プロフィール|PROFILE
藤原太
昭和34年3月1日生まれ。
岡山市出身
48歳で転職を考えていた当時、親交のあったスポーツ整体師のもと、整体の世界に足を踏みいれる。人体の不思議をまざまざと見せつけられ、夢中に基礎練習をつづける毎日をすごしていた。
しかし、そんな日も長くは続かなかった。3か月も経過したころ師匠が病にたおれ、その数か月後他界してしまった。生涯通しての技術伝授だったので、実践的な技は未だ教えてもらえず、途方にくれた。
退職の日はそこまでせまっていた。
その後、自らで技術習得する決意をし、興味をいだく療法をたずねて大阪、神戸、広島、愛媛など各地を回り、指導を仰いだ。
その甲斐あって疼痛改善は得意分野になり、リンパケアなど循環障害に対応できる技術を身につけた。
しかし、頭痛に対する思いが強くなり、頭痛治療の第一人者である先生のもとで再修業することになる。
メッセージ|MESSAGE
はじめまして
藤原太(ふじわらふとし)と申します。
ここでは、私の自己紹介を
していきたいと思います。
私は「爽快な人生」をコンセプトに、頭痛を取り去ることを目標に日々施術にはげんでいます。
具体的にどんな施術かというと、安心・安全で、骨をボキボキならすようなアジャストは行わず、筋肉にアプローチして首の詰まりを抜いていきます。短時間で結果にこだわったやり方です。
頭痛施術家への道
私は先にも述べたように、スポーツ整体師との出会いがきっかけで、整体業界に足を踏み入れ、肩こり・腰痛・膝痛などを扱う、何でも屋の整体院をしていました。努力が報われたのか施術効果もあがり、常連となってくれるお客さんも増えていきました。それなのになぜ頭痛治療家の道を選んだかをお話しします。
もともと疼痛改善が好きで始めた整体院です。医者でも治せない痛みを取る。つらい痛みが取れたら、どんなに素晴らしいことだろうと思っていました。
ところがいざ開業してみると、疼痛に悩む人よりもマッサージを希望する人のほうが多かったのです。やりたい仕事ができてない。そう思っていましたが、「身体が軽くなりました!」との声を聞かせてもらえると、「人を楽にするのがこの仕事、これでいいのだ」と自分を納得させていました。
悶々と過ごしていたある日、38歳の女性が来られました。その女性の症状は、首のつけ根が痛く、腕もしびれている。首の痛みが酷くなると、やがて激しい頭痛に襲われる。かなり深刻な様子で10年も患っているそうです。
しかし当時の私の技術では緊張型の頭痛は治せても、重度の偏頭痛には力が及びませんでした。それでも「全力で取り組もう!」と腹をくくり施術を始めたのです。
するとその甲斐あって、彼女の顔色がみるみる良くなっていったのです。「痛くないです!」と嬉しそうな笑顔がのぞきました。
私は何気なくですが「この痛みがなくなったら何ができますか?」と伺いました。
すると彼女の口から溢れるように「笑顔になれる」「人に優しくできる」「仕事が楽しくできて、一杯働ける」「お金がたくさん入る」「幸せになれる」
私は驚きました、流れるように出てきた数々の言葉、きっと彼女は常日頃からこんな願望を持っていたのでしょう。それほど「頭痛」は深刻で人生を変えてしまうほど重大な症状だと気がつきました。
そして「もっと頭痛で困っている人を救いたい!」という思いがわいて、私のやるべき方向が決まりました。
頭痛の発生機序や解剖学などを勉強しながら、講演会やセミナーなども聴いて歩きました。
やがて、ある頭痛整体の先生とお会いする機会が得られ、頭痛治療家を育てる取り組みをされているその先生のもとには、数多くの塾生であふれていました。皆さん熱心に切磋琢磨している姿は今も忘れません。
先生が治されたお客様ともお話がができ、治療後人生が変わり、“素晴らしい毎日を送っている″など数多くの感謝の言葉を聴くことができ、ここの塾生になることを決意しました。
頭痛治療家としての第一歩がここに始まったのです。
頭痛の皆さまへ
私は世の中から頭痛患者をなくすことを使命としています。
頭痛は人生そのものを変えてしまう深刻な悩みです。
「頭痛薬をやめたい」「仕事をしたい」「旅行に行きたい」「誰もこの辛さをわかってもらえない」など、いろいろな悩みがあることだと思います。特に頭痛のお母さんにとっては、子供さんにいつも笑顔で接してあげたいですね。お母さんが痛みなくスッキリとした毎日をすごせると家族全員が幸せに暮らせます。そんな日々を送っていただきたいと思っています。
私と一緒に頭痛のない人生を取り戻しませんか?
あなたにとって一番の治療家であることをお約束します!
藤原頭痛整体院 院長 藤原太